2005年9月18日

ジェンダー論と科学

学界でアウトリーチ的な活動は、陰陽の“陰”にあたる分野だという認識が、業界的にはあるように感じます。研究を進めることこそ本道で、アウトリーチ的な活動はほとんど評価されないというのがこれまでの学界の態度だったと私は感じているのですが、この状態は、ジェンダー論で言うところの女性的な仕事(家事や育児のように、金銭的に評価されない仕事)と同じ構図だなぁなんて事を考えていました(最近はかわってきているとは思いますけど)。社会の再生産を担う育児といった仕事よりも、会社で働いてお金を稼ぐ方を重視する社会ってぇのは、まさに次世代の科学者を産み出すアウトリーチ的な仕事よりも研究して論文を書く方が重視される構図とアナロジーだなぁと。はたして、科学業界って昔からこうだったんですかね?

歴史を遡って考えてみると、中世の科学者と呼ばれる人たちは積極的にアウトリーチ活動をしていたように思えます。そもそも、基礎科学のように直接的に生活向上に結びつかない反社会的なものは、パトロンが付かなければやっていけません。パトロンに対して積極的なアピール(=アウトリーチ)が、当時の科学者には不可欠だったように思われます。

これが、今のような状況になったのも、全ては生産効率を追い求めたからなんでしょうね。近代化の中で、家族が現れ、家族の中で育児と外でお金を稼いでくる仕事が分化したのと同じように、科学者も組織化され、研究とアウトリーチを分業する今の仕組みが出来上がってきたんだろうなぁなんて考えるわけですよ。もちろん、研究一本槍の学者さんは現役時代はそれでシアワセだと思いますが、それはまるで会社一本槍で勤め上げた人が定年後に迎えるであろう社会からの疎外感をそのうち味わう羽目になるのではないかと心配してしまいます。業界内でも理解するのが難しい専門知に、市民が簡単についてきてくれるとは到底思えませんからね。一方で、なぜかはわからないけど低く見られているように感じるアウトリーチな人たちも、本来は感じる必要のない不要なストレスを感じていそうで、それもそれで改善する必要がありそうに思えます。

ジェンダー研究な人たちの行動に習えば、我々がすべき事は、やはりもっと選択肢を増やすことでしょうね。研究一本槍と同様に、アウトリーチ一本槍、研究とアウトリーチを半々ずつといった多彩なオプションを、科学コミュニティに所属する“研究者”がバイアスなく自由に選べる環境を用意することが必要じゃないかなと思えます。とりあえず、ジェンダー論的な見地でいまの科学業界を眺めてみると、なかなか面白いということを発見した事を忘れないためのメモでした(笑)

投稿者 たかなし : 01:41 | -

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