2006年1月18日
「死を招く援助」
小学校3,4年生の頃だったかと思いますが、「死を招く援助」という本を読んだ事をよく覚えています。私の父は開発経済学を専門とする研究者なので、家には経済系の新刊がたくさん転がっていて、この本もそのうちのひとつでした。父の専門とする分野をこっそり勉強して驚かせてやろうといった程度の気持ちでこの本を手に取ったのですが、なかなか子供にはびっくりする話がたくさん紹介されていてショックを受けたのを覚えています。
本の内容をおおざっぱに言えば、いい加減な開発援助では、貧富の差を減らすどころか益々広げているに過ぎないという話だったと思います。父から聞いたのか、その本で読んだのかは記憶が定かではありませんが、例えば貧困層のために井戸を作るための資金を援助しても、ほっておくと地主の土地の中に井戸が作られてしまい、井戸の水をくむために立ち入り料を地主に払わざる得なくなって、ますます貧富の差が拡大するなんて事例があったのを覚えています。資本主義の隆盛と共産主義の凋落の中、資本主義が完全な勝利をおさめたかに見えた1980年代後半に出版されたこの本は、いけいけな雰囲気の中で開発経済学が見落としてきた問題を提起したたいへん面白い本でした。なぜ今頃こんな話を思い出したかと言うと、現在の科学系アウトリーチ活動も、ただいくらアウトプットしたというだけでなく、そのアウトプットがどのように活かされたかについて議論出来るくらい、十分に地盤が整ってきたのではないかと最近考えていたからです。
経済と違って科学知識が不足しているからといって死ぬことはあまり考えにくいですが、いい加減な援助は効率が悪いという話や、ただただ無計画に資金をばらまいても人々の向上意欲を喪失させるなんて話は、経済も科学普及も同じでしょう。私の父の最近の専門は貧困層を対象としたマイクロファイナンスなんですが、これは限られた資本でいかに効率よく全体の底上げを図るかという問題だと言えます。その解として、例えばビッグプッシュ理論(ある程度まで経済レベルが上がれば、あとは自力で貧困から脱出できるのでそこまでをしっかり援助する)なんかは、そのまんま科学教育の話に適用出来そうな感じがしてなりません。もちろん、“科学知識援助”の方は、例えば科学コミュニケーションといった双方向性を重視した手法を用いたりと、優れた手法を採り入れて行われていると思いますが、いろいろと先人の知恵に学ぶことが多いんじゃないかなと思ったので、忘れないようにここにメモしておきます(笑)
投稿者 たかなし : 08:16 | -
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コメント
自己つっこみですが、お気づきの方もいる通り、“開発経済学”という学問は、大雑把に言って、“貧困よりは裕福な方が良いに決まっている”という価値観に基づいています。これはなかなか横暴な考え方だと思うのですが、同様の構図が科学普及の業界でもあり得るので、気をつけなきゃならんですね。
投稿者 たかなし : 2006年1月18日 12:45
そうは自分も感じながらも、
「“貧困よりは裕福な方が良いに決まっている”という価値観自体が横暴な考え方」
ということ自体が、最初から日本に生まれて恵まれた状況にいる人間の横暴かもしれませんね。
投稿者 つかだ : 2006年1月24日 11:33