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2005年10月28日

科学と疑似科学

世の中、疑似科学が大流行です。フォトンベルトとか「相対論は間違っている」とか「第X惑星」とか「人類の先祖はどっかの星から移住してきた」とか「アポロ計画はでっち上げ」とかですね。ちょっと調べればすぐボロが出るようなことなのに、何でこんなに信じる人が多いんでしょうか。観望会でスタッフをやっていてもこの手の質問はよく受けます。

最近の流行は「水に優しい言葉をかけるときれいな結晶ができる」理論と「インテリジェント・デザイン(ID)」理論でしょうか。前者については何冊も(同じ著者の)本が出ていますし、後者は進化論を教えたくない一部のアメリカの学校で取り上げることについて裁判になっていたりするそうです。

札幌でサイエンスカフェを一緒にやった CoSTEP のスタッフ、hillbridge さんのブログにID理論のことが取り上げられています。僕も hillbrige さんの

科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない

には賛成します。かつては少数派だった理論が実は真実に近かった、というパラダイムシフトは科学の歴史の中では何度もあったことですから。しかし
つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。

という一節にはひとつ問題があると僕は思います。それは『インテリジェント・デザイン』は科学だろうか? ということです。IDがきちんと科学の手続きを踏んだ理論であるならば、少数派だからといって迫害されるべきではありません。しかしIDが科学の手続きを踏まない、科学の皮をかぶった何かであるならば、それは進化論と同列に扱うことはできません。この言説の前段階として、ID理論が科学かどうかの検証が必要なのです。このことはなにもID理論に限ったことではありません。水の結晶の話でもそうですが、もし「マイノリティな学説を迫害すべきでない」として擁護するのであれば、それが本当に『科学』かどうかを検証する必要があるでしょう。

科学というバックグラウンドに馴染みが薄い人にとっては、その見分けは難しいのかもしれません。でもだからこそ、CoSTEPのようなところで養成される科学技術コミュニケーターが確固たる視点から適切な指摘を行うべきなのだと思います。

科学と疑似科学がどう違うか、そして疑似科学をどのように扱うべきか、ぜひ科学技術コミュニケーター養成ユニットでしっかり取り上げていただきたいところです。国の肝いりで作られたユニットなんですから、科学と疑似科学の区別がしっかりできてその扱い方についてたくさんの人と「コミュニケート」できる人材を育てることはこの国にとって利益になるはずです。

論理的に考えて物事の本質をきちんと見抜くチカラは、日常生活にだって必要だと思うのです。効果のないダイエット薬を買ってしまうとか、変な治療法で病状が悪化するとか、どう見てもおかしい詐欺に引っかかるとか、もう少し考えればそんな落とし穴に引っかからずに済むはずですよね。

マスコミにおける疑似科学の取り上げ方にもちょっと言いたいことがあるのですが、それはまたの機会に。

投稿者 平松正顕 : 14:08 | 科学コミュニケーション

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びんごばんごBlog : 2005年11月3日 09:30

インテリジェントデザイン理論(ID理論)にはまっちゃった産経新聞

前エントリで予告した内容です。 サブタイトルは「メディアリテラシーを磨くのに最適な産経新聞のID論翼賛記事」ってことで。 産経Web【教育を考える】:「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く の内...

幻影随想 : 2005年11月11日 11:02

コメント

トラックバックありがとうございます。その節は大変お世話になりました。今は、来月のイベントに向けて、反省を活かして準備しています。

さっき、ysさんともこのネタで話し合ってきたところです。

たしかに、「科学」といえないかもしれないのに、科学的学説だとして議論をすすめてしまっているのは、すこしまやかしがあると感じてられるかもしれませんね。参考まで、たとえばAP通信の記事のなかでは

He tried to bolster the school board's contention that intelligent design, which holds that life on Earth was the product of an unidentified intelligent force, is a scientific concept.

と書かれています。あ、科学的学説といったのは訳し間違いだったかもしれません。科学的概念といってもまだ語弊があるように感じてしまうでしょうか。でも、このコンテクストでは、「科学的」には広い定義が適用されていると思います。

擬似科学については線引きが明らかな場合と難しい場合がありますよね。血液型とか占星術とか、かなりテキトーに捉えられているものもたくさんあります。イギリスのメディアでは鍼灸もたまに話題になったりしています。

そういえば、「疑似科学と科学の哲学」(伊勢田哲治)という本が良いと友人に薦められたままに、未読になっています。それでも買って読んでみようと思います。

科学とは何か?
科学技術コミュニケーターという立場があるのであれば、常に考え続けなくてはならない問いですね。

投稿者 hillbridge : 2005年10月28日 20:44

進化論に関心のある学生です。ID理論の方は
ほとんど知りません。
コメントしたのは、似非科学や科学的とは何かと
いうのを考えてみてそれについて自分の意見を
述べようと思ったからです。
結論を言えば、生物変化や生物の誕生の背後に
何かの意思の関与を考えることは一概に非科学的と
言えないのではないかと考えました。

なぜ、そのように考えたかというとそれは、前提条件と
何にフォーカスをあてることによっているからと
いうことです。

どういうことかといえば、説明のために一つの例を
考えてみました。

ここにカレーライスがあったとします。
なぜここにカレーライスをあったかを科学的に分析
するとすればどのようにすればいいのでしょうか?

いもが原料になっている。ナイフがこのようなスピードで振り下ろされいもを切断した。ナイフは、人間の
腕が筋肉を使い加速度を加え切断を可能にした。人間の
腕の筋肉のエネルギーは太陽エネルギーが食物を通し・・・、また、沸騰したお湯の中で何分間ゆでられ・・・
 
 など、すべて間違ってはいないのですが・・・
ここで、カレーライスを作ったのは、子供お母さんで、
子供が遊んで疲れてくると思い、子供の好きなカレーライスを作ろうと思った心が動機となって・・・
と分析するのも間違ってはいないわけです。

 人間の体だけに注目すれば、人間の遺伝子があるから
このような体を構成していると考えることは間違いで
ないと思います。

 では、なぜ、人間の遺伝子が生成されたのか?
ダーウニズムでは、偶然の突然変異が適者生存で選択
されたと言っていますが、私には、それは確率的にも
ありえないと思えて仕方ないのです。以前からそれは
疑問でした。そこに何かの意思の介在を前提とする
ほうがむしろ合理的ではないか? と以前から感じて
いました。

 自然科学では、物質を対象としていると思うので、
カレーライスで言えば、現象面を研究・解明する
ことと思うのです。でも、目に見えない部分も存在
できると思うのです。これは、似非科学ではないと
私は思うのです。
 仮に、物質が究極の存在であるという前提に立てば
そういう結論になると思うのですが、私は、物質は
存在の一面に過ぎないと思います。もっと、言えば、
存在の本質は物質ではないのではとまで考えます。
 この私に立場からは、物質を超えた何かを考えて
現実を考える方が合理的・科学的と移り、物質に
限定して考えることは、かたよっている・非科学的
と移ります。
 私は、物質的研究やアプローチとその成果を否定
したいのではなく、それがすべてと考え、それ以外の
ものを似非科学と考えるような姿勢は間違っている
のではと思うということを言っています。












 

投稿者 一学生 : 2005年11月11日 01:44

コメントありがとうございます。

インテリジェントデザインについてあまりご存知でないのであれば、調べてみることから始めてはいかがでしょうか?私もそれほど詳しいわけではありませんが。

どこからお返事すればよいか少し迷いますが、もちろん私にも、今この世界が絶妙なバランスの上に成り立っていることは一見驚異的に思えます。しかし、私にとっては、それこそ「天文学的」な数の惑星が存在しているであろうこの宇宙において、どこかの星で知的生命が繁栄するのは確率的にありえないことではなく、むしろ自然なことのようにも感じられるのです。このあたりは個人の感覚に大きく依拠してしまうので、どちらが正しい、とは言えないと思います。

生命のほかにもいろいろ偶然と思われる絶妙なものはありますね。例えば、地理の問題。パナマ周辺はまさにそこに運河を作るのにうってつけの地形となっていますが、これは『ある存在』がアメリカ東海岸の船舶メーカーに太平洋航路を渡すという意思の下に作ったのでしょうか? あるいは、太陽と月の大きさがぴったり重なるようなっているのは、地球上の生物に皆既日食を楽しませるためなんでしょうか?

そもそも、「なぜそこにカレーライスがあるか?」という疑問に科学で答えられるかどうかは、自明ではないでしょう。「どのように」は科学で扱えますが、「なぜ」というのは扱いにくいものです。また、一学生さんのおっしゃる「見えない部分」「物質を越えた何か」を扱うものが果たして「科学」と呼べるのか、というのも正直言って私には良くわかりません。科学の枠組みで話をするならば、それが何であって、どのように世界に対して作用をするのか、ということを説明する必要があるのではないでしょうか。ダーウィン以来今まで、様々な実験や観察を通して補強を続けられてきた進化論に取って代わるためには、そのあたりの説明が必要だと思うのです。

投稿者 ひらまつ : 2005年11月18日 21:12

インテリジェントデザイン論者の主張についてはこちらのブログの記事がよくまとまっているかと思います。
http://transact.seesaa.net/article/9270936.html

一応日本にも「創造デザイン学会」というのがあるにはあるのですが、
本家「Intelligent Design Network」が言っていることの10分の1も理解できているとは思えない主張をしているので、当てにしない方がよいかと。(統一教会の下部組織でもあるためかえらく主張が偏ってます)
「創造デザイン学会」:http://www.dcsociety.org/
「Intelligent Design Network」:http://www.intelligentdesignnetwork.org/

以下一学生さんへ
> 自然科学では、物質を対象としていると思うので、
カレーライスで言えば、現象面を研究・解明する
ことと思うのです。でも、目に見えない部分も存在
できると思うのです。これは、似非科学ではないと
私は思うのです。

「思うだけ」なら確かに似非科学ではありません。
しかしそれを証明なしに「科学だ」と主張するならばそれは似非科学です。

「現在の科学で解明できないもの」などいくらでもあります。
しかし「科学では解明できない」と言いながらもう一方で「しかし科学だ」と言うから「解明されてもいないものをどうして科学と呼ぶことが出来る?」と「詭弁、似非」呼ばわりされているのが創造論やインテリジェントデザインです。

科学というからにはまずは証拠を積み上げないことには話にもならないということですね。
「科学だ」という主張さえしなければ何も問題は無いのですが、デザイナーを否定されるとアイデンティティが崩壊する人が結構いるのでそうも行かないようです。

投稿者 黒影 : 2005年11月27日 22:58

からオシャレで清楚な上質な女の子が素敵な夜をお届け致しますd(´∀`*) http://sns.fgn.asia/

投稿者 : 2012年7月29日 15:10

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