2005年9月12日
意図的な嘘報
選挙戦で報道合戦も盛り上がっていたようですが、ひとつ科学ニュースに対してコメントを。
NASAの Deep Impact による衝突探査が行われたテンペル第一彗星に関して、朝日新聞が記事を書いています。僕は彗星の専門家でもないし、この記事のもとになった論文も読んでいないので記事本体に対しては特にコメントできるわけではありません。
コメントしたいのは、研究員の談話を『引用』している部分です。この研究員さんは、実は研究室で僕の真向かいに座っていらっしゃる方で、この記事に関しての電話での取材のときも、僕は真正面に座っていました。僕はもちろん自分の研究を進めているわけですが、何度も何度も繰り返して説明している部分は聞こえてきます。「有機物の証拠が見つかったのは今回が初めてではありません。」
なのにどうでしょう。記事には『核の内部に有機物が豊富に存在することも初めて分かり』と書いてあります。当の研究員さんも、この記事を見てひどくがっかりされていたようです。あんなに強調していた部分がこんな書かれようでは、それも当然です。
これはミスではなく明らかに意図的な『演出』でしょう。「記者は専門家ではない」、「正確さにこだわりすぎれば全体が伝えられない」などということを報道の方から聞くことがありますが、今回はそんなレベルの話ではありません。真面目にコメントしてもこの有様では、コメントする気も失るのではないでしょうか。「間違ったことを言った」という話が研究者サイドで広まってしまうかもしれません。これではコメントする側もやってられないでしょう。『初めて』のたった3文字が、双方にとって大きな損失をもたらすかもしれません。この記事の内容が正確に伝わらない、ということにとどまらず、記事を書く人間の態度が問題です。
この新聞記者だけが持つ問題なのか、社の問題なのか、あるいは社に関係なく科学記者がダメなのか、あるいは記者なんてみんなテキトーに記事書いてるのか。世に流れる科学記事なんてごく少数ですが、他の記事もそうなんだろうかと考えると何も信じられなくなりますね。
多少の正確さを犠牲にしてでも内容を伝える、ということが必要なのはわかるのです。でも、明らかな嘘を書くのはやめていただきたいものです。
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コメント
こちらにもコメント。
これは、メディアと言うものの体質であるかも知れませんね。政治記事は明らかに記者の主義によって書かれますし、少し媒体の質が下がるとやれ虚偽だ毀損だと事欠かない。情報そのものがどうであるかを重視しないのかも知れません。
寧ろ問題は、勿論そういうメディアの体質―情報と受け手の関係を誤って繋いでも悪びれず、残った問題に責任をとらない―だけでなく、“記事”というものが人伝である以上元来そういったものであり、吟味、判断を全て委ねることは出来ないのだ、ということを自覚していない圧倒的多数の読者にもあります。社会的な情報リテラシーの啓蒙が重要ですね。
投稿者 SN : 2005年9月13日 00:05
"圧倒的多数の読者"が賢くなればこの手の記事は淘汰される方向に動くのでしょうが、そのレベルまでの啓蒙はなかなか難しいですよね。
というわけで記者さんの側で代わってもらいたいのですが、ご存知の通り科学報道におけるミスマッチのディスカッションでも、結局メディアの人は「我々は専門家ではないバカですから」「我々はこういう方針ですから」と言うだけで、いつまでたっても平行線な議論が収束しません。ミスマッチがあることを知るのは第一歩ですが、そこから先あまり進展がないように思うのです。
投稿者 平松 : 2005年9月14日 23:16
「何が正しくて何が正しくないかを決定するのは自分だ」という視点にたてば普通の事でしょう。そしてこの視点が日本社会に充ち満ちているような気がしますよ。
投稿者 通る人 : 2006年6月2日 10:54
> 「何が正しくて何が正しくないかを決定するのは自分だ」という視点
そんな「俺様がルールブック」な人が報道に携わっていたら、もうなんでもアリですよね。ヤラセや意図的な編集もたびたび報じられていますが、そんな雰囲気が蔓延してるのでしょうか。絵の"盗作"とか論文の捏造とか、数重ねるうちに感覚が麻痺してきたのかもしれませんが、これも同根ですかね。
投稿者 平松正顕 : 2006年6月5日 19:18
今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^
投稿者 グッチ バッグ : 2012年11月10日 09:47