2006年8月1日
"Café Scientifique" と『サイエンスカフェ』
5号館のつぶやきさんが書かれた "専門誌Cellに載ったサイエンスカフェ評論" のエントリーと元の記事 "Café Scientifique―Déjà Vu"を読んでみたので感想を。
イギリスで誕生した"Cafe Scientifique"は『科学者と一般参加者が議論を交わすもの』です。これはもともとフランスで行われていたという "Cafe Philosophique;哲学カフェ"からの流れを受けてのものでしょう。参加者は個々人の哲学観/倫理観などに基づき、他の参加者と議論を戦わせるわけです。これを科学の世界にもってきて、参加者が個人の意見をもとに科学に関する話題で議論するのが 本家 Cafe Scientifique といったところでしょうか。
一方、日本で多く行われているのは、研究者が出てきて科学の話を噛み砕いて伝え、質問しやすい雰囲気の中、科学の話題で時を過ごす、といったタイプのサイエンスカフェです。5号館のつぶやきさんのおっしゃるところの『科学の宣伝のためのカフェ』ですね。先日日本学術会議とJSTが企画し、天プラも協力して倉敷でも開催した全国一斉サイエンスカフェは、そのようなものが多かったようです。
そんなのは"Cafe Scientifique"じゃない、という意見もあります。それでは単なる講演会だと。
そもそも天文学を含む基礎科学の場合、そのような場で議論を期待することは大変難しいことです。議論のためにある程度の量の知識が必要であること、BSEや遺伝子組み換え、原子力などのような日常生活へのインパクトがほとんどないために論点を見つけにくいこと、が原因でしょう。元の記事では、"anyone can meet to discuss the latest ideas of science that are impacting society." 『誰もが、生活に影響のある科学の最先端の話題について議論できる』とあります。つまり、「身近でない基礎科学」では、議論を誘うテーマを見出すことがとても困難です。『望遠鏡なんぞに血税を投入するのは是か非か』という議論は成立するかもしれませんが、そんな頭の痛くなるような議論の後に得られるものと、これまでの天文学が明らかにしてきた激動の宇宙の解説を聞きながら楽しむことで得られるものと、どちらが本質に近く、多くの方に参加してもらえるでしょうか。
『科学の宣伝のためのカフェは、趣旨と違う』とか『科学って面白いねーな仲良しコミュニケーションは"科学コミュニケーション"ではない』とかいう意見も一部にはありますが、サイエンスカフェも科学コミュニケーションももっと大きな枠組みで捉えるとよいのではないかと最近思っています。天プラも、これまで参加者150人超のサイエンスカフェ札幌から3家族6,7人と一緒に三鷹でやったものまで、大小様々のサイエンスカフェをやってきました。それを通して感じたことは、科学に触れる機会の提供がとても歓迎されることで、興味を持ってくださる方がとてもたくさんいらっしゃる、ということです。壇上の偉い先生のお話を拝聴する講演会ではなく、同じテーブルを囲んで科学の話をする、素朴な質問をぶつける、そういう場としてのサイエンスカフェの存在意義をしっかりと感じたのです。だから、全国一斉開催だろうがトップダウンだろうが、科学に親しむ場としてのサイエンスカフェがあってもいいじゃないか、と僕は思うわけです。天プラ、そもそもの設立趣旨は「最新の天文学をより身近に楽しむ機会の提供」だったわけです。我々が行ってきたサイエンスカフェは、まさにその狙いを実現するものです。
要は、『サイエンスカフェ』は"Cafe Scientifique"の輸入直訳版ではなく、日本風にアレンジしたものである、と。もちろん本家と同じような議論を中心としたものを推進する方はそれでかまわないですし、新たな知の伝達の場としてサイエンスカフェという形式を利用するというのもひとつの手でしょう。政策決定の一助となろうと個人的知的好奇心の充足に充てようとどちらでもよくて、科学に触れること、それがよく言われる「科学を文化に」ということにつながるのだと思います。
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コメント
日本で始まったサイエンスカフェは、カフェシアンティフィクを直輸入したものではないというところは大いに同意いたします。今後、日本の文化にふさわしいカフェができるといいですね。
投稿者 5号館のつぶやき : 2006年8月3日 19:40