2007年1月16日
コトバの力
注) 某紙のジャーナリスト宣言とは関係ありません。
最近、ある案件でデザイナーやコピーライターの方とお仕事をさせていただいています。(この仕事については今年度末にはまた改めてご紹介できると思います。) 普通の理系学生であればあまり触れる機会の無い、そういう「プロ」の方との10時間缶詰作業を2回経験してみて、強く印象に残ることがあったのでここに記しておきます。
感銘を受けたのは、コピーライターの方がコトバに向かい合うときの意識です。もちろんコピーライターというのはコトバで生きている方なので、その意識が一般の人間と比べて高いのは当然なのですが、やはり一緒に仕事をするとその違いがよく伝わってきます。文法的な知識にもしっかりと基づきながら、文章の天文学的内容を理解しながら、そして全体のストーリーを吟味しながら、丁寧に言葉を選んでいく様子に感銘を受けました。出来上がる文章というのは別に技巧を凝らしたものでもなく、読むときにはすらっと読めてしまう文章なのですが、その「すらっと」感を出すのがいかに大変なことかというのを身をもって感じることができました。
僕もこうやってたまにはブログを書いていて、高梨くんと交互に書いている星ナビの連載コラムはもう3年近く続いていて、ニュートンムックの文章執筆のお手伝いもさせていただきましたが、まったくもってコトバの扱いが雑だったなぁと少々反省しているところです。いきなりいろいろ考え出しても書けなくなるので、これまでよりもう少し意識して文章を書く、ということにしたいと思います。
これまでにも、このブログで科学記事などについて意見を書いてきました(報道にコメント カテゴリ)。あるいは、大学でサイエンス・ライティングの講座を開講している方が書いた文章に触れることも多くありました。そういう文章を書いている新聞記者さんやサイエンスライターと呼ばれる方たちもコトバで生きているわけなのですが、高い意識を垣間見ることができる文章を皆が皆書いているかといえば、必ずしもそうでないように思います。過剰な演出(時には嘘)が意図的に入っていたり、不正確な情報に基づいていたり、平易に解説しようとして本質を外していたりする文章が散見されるような気がするのです。少なくとも、大学でサイエンスライティングを教える方には、もう少しそのあたりのコトバに対する意識を持って欲しいと思います。
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