2008年10月10日
ノーベル賞とネットと。
2000年から2002年にかけての日本人のノーベル賞連続受賞のときと今回とで決定的に違うのは、とてもたくさんの人がブログという道具を持って自分の感想を世界に発信していること。Googleのブログ検索でこの1週間に書かれた「ノーベル賞」を含むブログを検索してみると、その数16,000。自動生成のスパム的ブログも含まれているのかもしれないけど、まあとにかくたくさんの人が記事を書いています。サイエンスカフェなり講演会なりで参加された皆さんの話を聞くことはあっても、そういう場に来ないたくさんの人たちの考えを見ることができる機会はあまりないので興味深いですね。とくに、単に喜んでいるだけではない意見。これら全部真に受けてると身がもたないのでそんなことしませんが、参考にはするということで。
個人的には科学は面白いし役に立つこともあるし、少なくとも興味を持っておいて損はないと思っていますが、すべての人が科学を好きになるべきと思っているわけではありません。天文学に興味を持たない人にも天文学を伝えたいと僕が思っているのは、食わず嫌いするんじゃなくて、せめて好き嫌いあるいは興味のあるなしを判断できるところまではお互いに歩み寄りたいと思っているからで。天文学や科学を押し売りしたいわけじゃないんです。
というわけでノーベル賞が話題になっている今この時、少なくない数の人の意識が科学に向いているはずです。やはり科学をやっているもの、科学コミュニケーションと呼ばれる事柄に関心があるものとしては、このニーズを逃す手はないでしょう。未来館ではさっそく化学賞ネタの緑色蛍光タンパクの展示が人気を集めてるようですし、僕が日本にいる間に関わっていたところでも対応が検討されています。
素粒子論と宇宙がどう関係しているのか、タンパク質が緑色に光るのはなぜか、そういう研究の中身自体もこの機会にたくさんの人に知ってほしいしその面白さを感じてほしいです。が、やっぱり「なんで科学をやるのか」というとっても根源的なことについて研究者が話をしたり、異分野の研究者あるいは研究者でない人と意見交換したりすることが、中身の説明以上に重要なんだろうなと思いました。緑色蛍光タンパクは、下村さんは最初は実用性がないとお考えであったとはいえ今では広く応用されていて、たとえば癌の研究に使われているそうです。一方、ある意味で「目に見える」成果ではない物理学賞。しかも、稼働したばかりで止まってしまったLHC・あんまりニュースにならない気がする日本の新加速器JPARC・官房長官談話に突然出てきたリニアコライダーと、大きなお金をかけて装置を大型化しないと検証できなくなってきた部分も大きいわけです。これは大望遠鏡を欲する観測天文学にも言えることですし、先日のプラネタリウム廃止問題とも通じるものがあります。説明責任という言葉でくくるのが適切かどうかわかりませんが、このご時世にその研究をやる意義をちゃんと考えたり話したり意見交換したりしないといかんだろうなぁ、というのがいくつかのブログを読んだ僕の感想でした。
たとえば 基礎科学の実が結ぶとは - Intersecting Voice Cafe とか 理論研究って - なぎのねどこ とか。「批判は許さない」と言いたいわけじゃないんですが、『別にそんなことしてくれなくてもいいんだけどね。』とか言われてしまうのはとても残念なので。
そういうわけで、この点について真正面から議論するサイエンスカフェがこの機会に登場することを他人事のように期待したりして。対称性の破れを説明するより難しくて大変だろうと思いますけどね。
投稿者 平松正顕 : 16:01 | 科学コミュニケーション
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【閑話休題】真正面から議論できるサイエンスカフェがほしい(副題:ノーベル賞受賞の賑わいの陰で)
天プラの平松さんのブログを読んで.
Science and Communication : 2008年10月10日 22:54
コメント
TBありがとうございました。
K_Tachibanaさん経由でときどき読ませてもらっておりましたし、とても面白い活動をされているのを見聞きし(おこがましい限りですが)感心しております。
今回のエントリーはかなり毒が入ってしまっていて申し訳なく思いますが、「このご時世」というタイミングに発表されたノーベル賞は、一般人のワタシでも、多くのことを考えさせられるきっかけになりそうです。
「科学は楽しい」ということで語る場(科学館とか)は多いし、その設定も容易に想像できるのですが、「あなたが楽しくても、ワタシは全然楽しくないよ」とツッコまれたらお終い。子ども相手ならおそらく「楽しい」でいいのでしょうけど、ひねくれた大人相手はタイヘンだと思います。何だか他人事になっちゃいますが(笑)
今後ともよろしくお願いします。
投稿者 hamarie_february : 2008年10月10日 21:41
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
「楽しい」は特に基礎科学の動機であるし魅力だともおもうのですが、楽しい以外の魅力であるとか意義であるとかそういうものも考えて発信していく必要があるのでしょうね。
ともあれ、今回のノーベル賞ラッシュはそういうことを考えるたいへんよい機会に違いないので、しっかり対応したいです。
投稿者 平松正顕 : 2008年10月11日 00:59
平松さん、一言だけ追加します。ちょっとコトバ足らずだったので。
「楽しい」は基礎科学の動機であり魅力だろうと私も思ってます。ただし、それを志す人(子どもも含まれる)や生業としている人にとっては、ということだろうなと思っています。
それでも比較的に言えば、天文学は一般の人で趣味でやってる裾野人口が大きいと思ってますが、それは「天体望遠鏡」という個々人に配布可能な探索機器ができたからでしょう。
巨大施設のみで検証している研究分野に、私が不満な点は、無理難題と思われるかもしれませんが、そういうことです。
投稿者 hamarie_february : 2008年10月11日 09:57
コメントありがとうございます。
僕は少し違う考えを持っていて、科学を志したり生業にしてる人でなくてもその楽しみを持つことはできると思います。
科学の楽しみ方は、僕が考えるに少なくとも二つあって、それは「自分で科学をやる楽しみ」と「研究者によってなされた科学の成果に触れる楽しみ」です。前者はhamarie_february さんのご指摘のあった天体望遠鏡を持つ天文趣味人の楽しみ方ですが、後者はたとえば関連書籍を読んだり講演会に行ったりすることで実現が可能です。僕も昔から天文が好きでしたが、どちらかというと後者の意味での「楽しい」でした。素粒子物理学においても、この後者の楽しみなら実現可能ですよね。もちろん個々人の興味関心の度合は違うので、万人がそれで楽しいかどうかはわかりませんが。
さらに言うと、個人が所有できる望遠鏡で見える/わかる宇宙と研究者が使う望遠鏡で見える/わかる宇宙の間にはかなりギャップがあります。そういう意味では天文学も「巨大施設のみで検証している研究分野」なんです。
投稿者 平松正顕 : 2008年10月11日 18:31