2008年11月2日
研究とそれ以外と
日本では学振研究員の採用結果が通知されているようです。ぼくは今年は出してないので直接は関係ないですが、いい知らせも残念な知らせもチラホラ。ご存じない方にちょっとだけ説明しておくと、学振研究員(日本学術振興会特別研究員)に採用されると大学院生のうちから給料と研究費がもらえるようになるという制度です。
東大理学系研究科の院生が中心となった0to1、僕も末席を汚しています(が、去年から活動を開始したグループなのでD3だった僕はほとんど名前だけの参加です)。その参加者というかかなり中心となって活動している人たちの中に、学振研究員に採用される人が少なくとも2人はいるようです。おめでとうございます。0to1内での議論を傍から見てるだけでも「デキる」のが伝わってくる人たちなので、採用されるのも納得がいきます。
0to1の中に限らず、学生が研究ではなくサイエンスコミュニケーション活動に時間を割く意義、というのがよく話題になります。もちろん、0to1に参加している人たちは多少の方向性の違いはあれどそこに意義があると思っているからこそそこに集っているわけですが、時間が奪われることを気にする周囲の目、あるいは自分の中での葛藤があることも事実でしょう。
0to1中心部から学振研究員に採用される人が出るということは、サイエンスコミュニケーション活動をしていても研究者候補生として認められるだけの研究力が培える、ということを示しているわけです。限られた時間で研究をしっかり進めてきたご本人たちの努力の賜物であるのは間違いないのですが、研究以外の事やったら研究がおろそかになる、というほど単純なものでもないということですね。現に、サイエンスコミュニケーション活動は研究自体のモチベーションを上げるのに効果的だという意見も0to1の中ではよく出てきますし、僕も実際そうだと思います。それがうまくいく時間の割き方は分野とか各自の研究のスタイルとかにもよるでしょうけど、意識して時間配分してれば研究自体をより充実させる方向に持って行ける、これは重要なことだと思います。研究以外のことに時間を使うことを嫌がる教員もいると聞きますが、もっと広い世界に目を向けて(社会との関係という視点も含めた)研究の進展を考えれば、むしろ研究以外の事にも時間を使ってこそ成果が最大になる可能性もあるでしょう。ちょっと過激な言い方をすると、研究100%で辿りつける最高点は実は局所的なピークかもしれなくて、もっと全体を俯瞰すると本当の最高点(成功?幸せ?)は別のところにあるかもしれない、そういうことです。すべての研究分野にこれが当てはまるかどうかはわかりませんが、少なくともそういうことは意識しておくべきで、それはサイエンスコミュニケーション活動を通して研究者が学んだり考えたりできる重要なことです。天プラに大学院生をたくさん勧誘したのは、将来研究者になる人たちに社会とのつながりを少しだけでも意識してもらいたかった、というのもあるのです。0to1や天プラでその活動を見聞きした層が研究者になっていけば、科学と社会との関係はもっと良くなる、そう思っています。
投稿者 平松正顕 : 15:44 | 科学コミュニケーション
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sumidatomohisaのブログエントリーを読んで.
Science and Communication : 2008年11月3日 00:07
先日学振特別研究員の結果が出たところで、0to1のメンバーたちには良い知らせが来た方が多かったようです。その翌日のミーティングで、皆で...
けやきのき : 2008年11月4日 15:13
コメント
平松さん、
どうもありがとうございます。
昨日のミーティングでまさに、こうしたことについてメンバー間でもいろいろと話していたところでした。それぞれの葛藤も含めて。
私の場合は、家族のことも含めて、例えば子供がいなかったら、科学コミュニケーション活動に関わっていなかったら、もっと研究でよい成果を出せていたか?と考えると、必ずしもそうとはいえないと感じています。
でも、本当に、葛藤があることも事実で、それを自覚しつつ、自分が大切だと思うことにはきっちり向き合っていきたいな、と思っています。
投稿者 suikyo : 2008年11月2日 18:28