■「天文学とプラネタリウム」概念図
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宇宙を知る二つの経由

図2 天文に関する情報の流出

図3 学生とプラネタリウムにできること






[天文学とプラネタリウム]


 天文学を志す学生にとって、プラネタリウムは1度は訪れたことのある場所であろう。しかし、そのプラネタリウムがいまどのような状況であるかを知る学生はどれだけいるだろうか。結論から先に言ってしまえば、多くの学生はプラネタリウムの現状を把握しているほどの興味は無い。しかし、それは果たして我々学生にとって有益なことなのだろうか。

 2000年に出されたNatureの記事「US astronomers drew up their wish list for a decade of funding」(Nature 405, 380-382, 2000)によれば、アメリカは2000年から2010年にかけて5000億円を天文学に投入する。それに対して、日本の予算規模は同期間で1000億円程度に過ぎない。単純に予算の大小が研究の良否につながるとは言えないが、明らかにハードの投入の時点で差がついてしまうのもまた事実である。経済規模が異なることを差し引いても、これは善戦しているとは言いがたい。この経済的な制約を緩くするにはどうしたら良いのだろうか?

そのためには経済性の向上とともに予算枠の拡大を目指すべきであろう。では、どうすれば予算枠は拡大しうるだろうか?そのためには我々の仕事に対する国民の理解と支持を取り付けることが重要であろう。このような考え方が、広報普及活動を行う上での根拠の一つであろう。これは、天文学に対する興味を持つ人間を増やすという意味で、能動的な動機であるともいえる。



 天文学の広報普及を行なっていくもう一つの理由としては、後述するように、それが多くの一般の人に求められている、ということがあげられるであろう。天文学を本当に理解しようとすれば、かなり高度な物理学や数学が必要となる。しかし、すばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡などが描き出す宇宙の姿は単純に美しく、学問的なバックグラウンドが無くても充分楽しめるものである。もちろん、知識があればそのレベ ルに応じた楽しみ方があるであろう。最新の天文学研究がもたらす成果であっても、適切な解説を付与すれば多くの人の知的好奇心を満たすことができる。宇宙の果てやビッグバン、ブラックホールなども「人気のある」テーマである。日本に数多くあるプラネタリウムや天体観望会には大勢の人が訪れ、天文関連の講演会は大盛況となることも多い。天体写真を見る子どもたちの目は輝き、解説を聞く大人は自分が知らなかった世界に驚く。天文学の全ての分野に当てはまるわけではないが、ある意味では、「科学」のなかでも天文学はもっとも一般の人に受けいれられやすい学問分野であるかもしれない。そこにあぐらをかいてしまってはもちろんいけない。しかし、社会から天文学の成果のアウトプットを求められるならば、それに応えない手は無い。こちらは、既に天文学に対する興味を抱いている人間に応えるという意味で、受動的な動機であるといえる。



 近年では第一線の研究者による講演会などが活発に行われ、好ましい方向に進みつつあるように思える。そのような中で、我々学生も積極的にそのような活動に関わっていく必要があるのではないかと私は考えている。しかし、我々学生にはどのようなことができるのだろうか?私はこの稿の中でプラネタリウムを使った学生による活動を提案したいと思っている。そのために、まずはプラネタリウムがどのような状況にあるのかを紹介しよう。



2.プラネタリウムの現状および分析



 プラネタリウム業界は苦しい。先日の五島プラネタリウムおよびサンシャインプラネタリウムの閉館は、今日のプラネタリウム業界の窮状を象徴するものとしてよく取り上げられる。では、どの程度に苦しいのかをデータを見てみよう。



 プラネタリウム白書2001(日本プラネタリウム協会, 2001, 以下白書)によれば、プラネタリウムの入館者数は1990年を頭打ちに減少に転じているにも関わらず、新規開業のプラネタリウムは1999年に至るまで増加を続けていた。単純に考えても、これは1館あたりの入場者数の減少を意味している。この入場者数の減少という現実は、プラネタリウムの運営に関わる人間からは社会情勢の変化がその主要因であると見られているが、子どもの数の減少やプラネタリウム自体の魅力の低下をその原因として指摘する人間も多い(菅原編, プラネタリウム会報 No.61,2-8, 1997, 以下アンケート)。しかし、内部からの調査ではなく外部からの調査によれば、関心を持つ科学分野は天文学、科学館に希望する施設は大型プラネタリウムと現在でもその人気は他の科学分野を圧倒していることがわかる(千葉市教育委員会,こども科学館(仮称)市民アンケート調査結果概要, 5-6, 2001)。従って、やはり既存のプラネタリウム自体の魅力の低下が入場者数低下の主要因であるのではないかと私は推測する。



 ここで注意せねばならないのは、全ての館が“斜陽”なわけではないという点についてである。相対的な評価となるが、プラネタリウムの入場者数の減少率が科学館全体の入場者数の減少率よりも下回っている館も見受けられ(白書)、これらは健闘しているといっても良いだろう。全体的傾向として、多くの天文を専門とする職員を配置できる有力な館が健闘しているように見えるが、きちんとしたデータは出ていない。



 実は、プラネタリウムの危機は1990年代初頭から言われ続けてきたことであった (山田, Twilight No.3, 10-13, 1993)。オート番組の導入によるスタッフの質の低下、および質の低下に伴うスタッフの身分の不安定さに対する危機感がその背景にある(河原, Twilight No.3, 8-9, 1993)。スタッフの質が下がれば当然番組の質も下がる。番組が自作できないスタッフは番組を外注せざる得なくなり、その結果ますますスタッフの質が下がるという負のフィードバックが懸念されたのである。このことは、観客数の減少という現実とあわせて、多くのプラネタリウムスタッフの心のうちに重くのしかかる問題であった(プラネタリウム会報 No.61, 26-50, 1997)。反面、観客数の減少をあまり気にしない、あるいは問題にしていない館が全体の50%を超えてもいる(アンケート)。



 自分がやるべきことはわかっているのにずるずると地盤は沈下する。この葛藤の中でプラネタリウム業界は1990年代を流されてきた。この状況を打破するにはどのような方針が良いのだろうか。地域との密着、生涯学習の強化、他業界とのコラボレートなど様々な方針が盛んに議論されているが(「プラネタリウムの未来を考える」, Twilight No.25, 2002)、その中でも私たち天文学を志す学生が注目すべきは天文学とプラネタリウムの関係強化を目指すものである。このことを次節で紹介しよう。



3.天文学とプラネタリウム



 70年代に入りオート番組が登場すると、経済性の追求からオート番組を中心としたプラネタリウムが数多く建設され、生の声で科学に触れられる場所としてのプラネタリウムは少数派となってしまった(白書)。一部のプラネタリウムを除いて、天文学に関わる人間を呼んで話をさせるといったイベントはほとんど行われていなかった。



 そのような中で、博物館とは「生活者の眼で導入し、科学者の眼に展開していく」(嘉田)べきであるという考え方をプラネタリウムでも実践しようという動きも現れた。具体的には、来館者からの質問を館のスタッフのみならず研究者に答えてもらうことによって一般と科学者を結びつけようという試みであった(高橋, Twilight No.17, 20-23, 1998)が、回答してくれる研究者ネットワークの構築の難しさなどの問題もあり、全国に広がりはしなかった。しかし、この流れはプラネタリウムサイド(毛利,文月報, 130-136, 2001)からも研究者サイド(若松, Twilight No.21, 9-20, 2001)からも積極的に引き継がれ、いくつかの実験的な天文学者とプラネタリウムのコラボレーション講演会がおこなわれた。これらは概ね成功しており、今後も注目するべきものであろう。





4.我々のすべきことは何か



 さて、ここで考えるべきは、我々学生、つまり研究者と呼ばれるにはまだ未熟であるが、天文学的知識の蓄積はあるレベル以上に達している我々は黙ってこの事態を見ていて良いのか、ということである。我々が入るべきニッチはないのだろうか?地域密着、生涯学習、他業界とのコラボレートを目指すプラネタリウムは、我々にとっても広報普及を効率的に行う場としてとても魅力的ではないだろうか?以下に、いくつかのモデルケースを提案してみたいと思う。



[講演会講師]



 これは既に多くのプラネタリウムスタッフと天文学者によって各地で実験的に行われている事業である(日本プラネタリウム協会教育部会, Twilight No.26, 2003;伊東, Twilight No.26, 2003; 向野, Twilight No.26, 2003)。向野らによる札幌市青少年科学館における講演会の例を紹介しよう。講師は地元北海道大学で電波天文学を専門とする研究者で、当日も電波天文学についての講演であった。来場者に対するアンケート結果によれば、講演の程度に関してちょうど良いと答えた人間が50%、難しいと答えた人間は48%であった。しかし、注目すべきは満足度に関する項目で、不満と答えた人間は0であった。これは、その研究の奥底にある科学的興味とその本当の面白さを理解してもらうことができれば、たとえ内容が難しくても満足してもらえる、ということを示している。

 また、我々が注目すべきは、院生によって行われた講演会に関してであろう。プロの天文学者ではなく、まだセミプロ段階である我々にはどのような講演が可能であるのか。その良い事例が愛媛県総合科学博物館で行われたドクターの学生による講演である(鈴木, Twilight No.25, 2002)。知名度があるわけでもなく、プラネタリウムスタッフほどうまく話ができるわけでもない院生が、聴衆に満足してもらうには自分にしか出来ないオリジナリティある話をすることが必要だということをこの事例は示している。なお、この講演会も大成功でアンケート結果によれば83%が次回の講演会への参加を希望している。

 以上の例はプラネタリウムにおける“きちんとした”講演会の例であるが、120分を独りでしゃべるような講演会をいきなり行うのは多くの学生にとっては抵抗のあることであろう。そこで、例えば4人1組程度で地域のプラネタリウムに出かけてプラネタリウム番組の1コーナーとして質疑応答に応じたり、観測風景の紹介などを行ったりするのも良いかと思われる。



[観望会スタッフ]



 大学生/大学院生が関わっている天文の広報普及活動としては、天文台や科学館、プラネタリウムなどで行なわれている天体観望会が代表的であろう。国立天文台三鷹キャンパスでも毎月2回天体観望会が開かれている。学生スタッフは、開始当初は天文台内の大学院生を主体としていたが、最近では近郊の大学の学生(学部生も含む)も増えてきた。この観望会では、職員のサポートのもとで受付、観望天体の解説、望遠鏡/双眼鏡の操作などを学生が担当している。

 観望会では直接、数多くの一般の人達に接することができ、天文についての質問を受けたり天文学に対するイメージを聞いたりすることで、天文学が社会の中でどのように受け止められているのか、ということを知るよい機会となる。

 またこれとは別に、まちなかに望遠鏡を持ちだし、道行く人に気軽に天文に触れてもらおうとする活動も各地で行なわれている。仙台市天文台を拠点とする「うちゅうせん」や三鷹観望会スタッフ有志による「天の川急便」などがその例である。プラネタリウムなどが主催する観望会に足を運ぶ程天文に興味があるわけではない、という人達にも天文に触れる機会を提供することができるため、このスタイルは、いわば一段敷居を下げた「草の根」天文普及と位置づけることができるであろう。



[勉強会講師]



 プラネタリウム業界の流れとして、生涯学習の観点からこれからは低年齢層のみならず高年齢層を対象をも対象にしていこうという気運が高まりつつある(向野,Twilight No.25, 2002)。経済的、時間的余裕のある高年齢層を主対象としたイベントはなかなか少ない。どのような形で我々が参加していけるだろうか?

 その一例として、勉強会を提案したい。これは、岐阜大学の若松らの提言にもあるが、高齢者と対象として例えばEdwin Hubbleの「銀河の世界」の輪読会を行うとしよう。このとき、当然その本を正しく理解し、解説できる人間が必要となる。そのような講師として院生程度の学生が参加することは、天文学の社会へのフィードバックという点で有益であると思われる。



 これらの他に良いアイディアがあれば、また実際に活動なさってる方がいらっしゃれば是非我々に知らせて欲しい。



 日本では高知を除く各都道府県に約300館のプラネタリウムが存在する。そして、多くのプラネタリウムには地域の天文ファンが集まって活動している。様々なアイディアをもって広報普及活動の拠点としてプラネタリウムを利用することは、我々にとっても天文ファンにとっても、そしてひいては地域の方々にとっても有益なのではないだろうか。プラネタリウム業界も我々学生も、協力することによって得るところは大きい。密に連携できる仕組みを創出することがまさにいま必要である。この事について、このサイトでは積極的に提案していきたいと考えている。



 最後に自戒をこめて触れておきたいことがある。それは、一般から見た場合の天文学のイメージについてである。一般の「天文学」のイメージは、月や惑星、それに目に見える範囲の星をなんかいじくってる程度の認識に過ぎないという事実である。つまり、彼らが天文学だと思っているのは、我々の“天文学”ではないという現実である。これは、非常に由々しき事態だと私は思う。彼らの理解を得られないまま、ますます現実と虚像が乖離していけば、必ずそのギャップが我々自身に降りかかる結果になるのではないだろうか。今現在は問題ない。しかし、未来が問題なのである。